ワンダフル・キャラクターズ 21

  • 2011.02.28 Monday
  • 10:03


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



フローラム・マルシャン

「ウォーター・スパウダー - 水吐き男」

彼は、水を飲み、ワインなどを吐き出すという芸をしました

彼はフランス人でフローラム・マルシャンといいました、1650年頃にフランスからロンドンに来てこの芸をするようになりました

もともと、イタリア人のブロワズさんがヨーロッパで人気を得ていた芸を彼から学び、まだイギリスにその芸がなかったのを理由にイギリス人の友人達に誘われてロンドンへとやってきました

彼は、ショーの前に準備として、ある薬と2ℓの水を飲み、お腹の中のすべてを出して空の状態にします

ステージに上がると再び大量のぬるま湯を飲み、ワイングラスに液状のもの(ゲロ)を出します、それは、まるでワインの色をしていて、香りもワインの香りでした

その後に又、水を飲むと今度は、ビールのような色と香りのものを出し、又水を飲むと、次は、白ワインを何杯も出しました

これは、延々と繰り返され、ロゼワイン、赤白ワイン、ビール、バラの水を出しました

バラの水というのは、水を飲んだ後、吐き出す際に手に隠し持っていたバラの水を巧みに口から出しているように出すという完全なトリックでした

最後に、絵にあるように透明の水を口の中に入れた特殊なストローで吐き出しですべての芸を終えます

あるお金持ちを彼を自宅に呼びプライベート・ショーを行いました
その際、彼は、新ネタの牛乳を出す芸をしました、が、出したものは腐った分離状態のミルクのようだったそうです

その後、2人のイギリス人がこの芸のトリックを暴露すると彼を呼びだしたところ恐喝に応じなかったため(利益を分けなかった)この本で彼のトリックが暴露されてしまいました

(以上 訳文)

観客は、彼が吐き出したものを確認のため、匂いをかいだり、ワイン・グラスから飲んだりしていたとは、なんともおぞましい光景です

この芸は、17世紀のヨーロッパでは、イエス・キリストの奇跡の一つである水をワインに変えたことにも関連させるタブーとして、イタリア人ブロワズは、その後、バチカンのカトリック教会から芸の禁止令を受けてしまいました





リマ―カブル・パーソンズ - 特異な人々

  • 2011.02.27 Sunday
  • 12:00
「ワンダフル・ミュージアム」シリーズの良く似た、シリーズの本です

この時期は、変人や偉人、独特な人々についての見せもの的なシリーズが流行していました

個別の人物録は、またブログにてご紹介していきますのでお楽しみ〜。

PORTRAITS, MEMOIRS, AND CHARACTERS, OF REMARKABLE PERSONS

作家は「ワンダフル・ミュージアム」と同じ、ジェームス・コールフィールド著 1819年











この方は、以前、ワンダフル・ミュージアムの本でご紹介したマシュー・ブッキンジャーさんです、彼は、いろいろな本で紹介されている有名人でした



ワンダフル・キャラクターズ 20

  • 2011.02.26 Saturday
  • 10:40


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



「ジェーン・ルーソン夫人」

エキセントリック・ウーマン (へんな女性)

彼女は、1700年にロンドンのストランドに生まれました

若くして、同じ家の住人のルーソン氏と結婚しました、しかし間もなくルーソン氏が亡くなり、26歳にして未亡人となってしまいました
その後は永遠に独身を通しました

外出は、ほとんどせずに家に引き込もっていました

お手伝いさんに老婆を一人雇っていました、その老婆の死後は、老人の男を雇いました
彼が料理を作ったり、庭の手入れやその他なんでもしていて便利屋のような存在でした

その二人で古い贅沢な豪邸に住んでいました
しかし彼女の部屋だけは、全く掃除もせずに窓は真黒に汚れた状態で日の光の入らない薄暗く汚い部屋にいました

なぜ、窓を拭いたり洗ったりさせなかったというと、水洗いすることで風邪をひいたり、窓を拭く際に高価なガラスを壊し、修理にお金がかかるといった不安からでした

唯一、きれいにしていたのは、お気に入りの庭で、天気の良い日は、毎日ガーデニングをしたり、少ない友人とおしゃべりしたりしました

彼女のことをエキセントリック(変な)な、おばあさんと言われていた理由は、彼女のファッションにありました
彼女の若かりし日に流行だった(ジョージ1世の時代)ファッションを生涯通していたのです

それは、どんなに年をとっても大きな馬の毛で作られたカツラのポンネットとフリルだらけのシルク製のそでの長いドレスを着ていました

又、手元には、大きなカフスに足元はハイヒールでステッキを持っていました、それは、まさに1710年代の流行そのものでした

なぜ、彼女は、一度もお風呂に入らなかったかと言うと、当時言われていた、お風呂に入ると風邪やその他の病気にかかるといった噂からでした

化粧は、豚の油脂を顔に塗り、その上からピンク系の粉を頬にたたきました

彼女には、その他、数々のこだわりがありました、それは、自分で使うティーカップは1つのものに決まっていました、他にも自分専用のナイフ、フォーク、皿などをいつも使っていました

彼女は、ひじょうに健康で病気にもかかったことがありませんでした
又、お金のかかる医者も大嫌いでした

とても頭が良く、死の直前までボケることなくしっかりとしていました

87歳で新たに歯が2本も生えてきたそうです

1816年に116歳で死亡しました

ワンダフル・キャラクターズ 19

  • 2011.02.25 Friday
  • 09:28


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著




「アン・モーア」

インチキ女

彼女は、ダービー州のロズリントンに1761年に生まれました

両親は、たいへん貧しい暮らしでした

彼女は、27歳の時、ジェームス・ムーアと結婚しました、が、すぐに離婚しました

その後は、仕事上の上司の愛人になり、結婚しない関係で2人の子供を作りました

1807年にタトベリーに住んでいた頃に最初の話題づくりをしました
それは、「何も飲まず食わずでずっと生きている」とのことでした

彼女は、証拠を出すので監視していてくださいと言いだしました
そこで、有力者のジャクソンさんの家に滞在し、村人を呼び監視してもらうことになりました

その間、大勢の人々が彼女の様子を見にきました
16日間、水だけを飲んだだけでした
その間、見物人からお金を取り、250ポンドを儲けました

人々が監視している間は、ずっと聖書だけ読んでいました、そして話すことといえば、宗教の事ばかりでした

時には、彼女のことを信じていない人が来て彼女をインチキ呼ばわりすると、急にたいへん乱暴な言葉使いになってそのような人は、追い払いました

度々、彼女は、飲まず食わず何十年も生きていることを強調したのですが、まだ信じていない人が多くいました

そのため、1813年に今度は、1ヶ月間の監視をして証明することが持ち上がりました

彼女は、当初いやがっていましたが、やむなく了解しました

今度は、医者や神父さんも監視に来ました
最初の1週間が過ぎた頃、人々は、彼女のだんだん痩せてやつれて行く状態を見て、1ヶ月間大丈夫だろうかと不安になりました

体重も調べると、かなり軽い状態でした

9日目になると彼女は、体調の悪さから人々を全員部屋から出て欲しいと言いはりました
彼女のあまりにも必死な様子に了解しました
彼女は、自分の娘だけに会いたいといい、娘が部屋に入り、出る頃には、なぜか体調が回復していました

彼女が最初に着ていた服が、ぶかぶかになってきて、明らかにここ数日で痩せてきたことが分かりました

周囲の疑問は、ピークに達し、彼女に真実の告白を迫りました

神父さんが彼女に前に聖書を置き、その聖書に彼女の手を置くように命じました
そこで、彼女に
「本当に何十年もの間、何も食べていないのですか?」
と問うと、
最後にとうとう彼女は、
「時々食べていました」と答え、彼女の娘もそれを認めました

1816年にすべてのインチキから詐欺罪が確定し彼女は、刑務所に入れらてました

その後の消息は全く分かっていません

今でも「アン・モーア」の名は、インチキ詐欺師として人々に記憶されています





イギリス料理の本

  • 2011.02.24 Thursday
  • 17:50
女皆様こんにちは〜。
今日は、ワンダフル・ミュージアムをお休みして、イギリス料理本読書のおすすめのご紹介です。

寒い日々は、オーブンを使ったイギリス料理を良くつくるのですが、とっても参考になります。写真も多くイメージできて失敗がなく作れます。









左から「TRADITIONAL BRITISH COOKING」Anness Publishing Limited 刊行
伝統的なパイ料理から肉、魚、デザートまで素朴ですが飽きない味です


右は、「the farmer's market cookbook」by emma summer HERMES HOUSE刊行
豪快な(とてもフレンチの繊細さはないのですが)一品だけ料理に大活躍です

真ん中は、「MRS.BEETON'S HOME COOKING VEGETABLE DISHES」 Ward Lock Limited刊行
ベジタリアンの方向けに根菜類などのあたたかいお料理が満載です、野菜だけでも十分メインディッシュになるボリュームです

ワンダフル・キャラクターズ 18

  • 2011.02.23 Wednesday
  • 10:02


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著

ワンダフル・キャラクターズ 16

  • 2011.02.23 Wednesday
  • 09:36


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



「トビー」

ロンドンの有名な乞食

彼は、インチキ乞食で、だれも彼の本名は、知りません

1800年代の初頭のロンドンによく見かけたそうです

彼は、黒人で昔は、貿易船で働いていました

ある時、バーミューダ行きの船上でケガをして足の指をすべて切断してしまいました
そのことで仕事やすべてを失いました

その姿は、見るも無残なかわいそうな姿で乞食にはうってつけでした

彼は、アフリカ語のようなものをしゃべり、英語をいっさい話せない演技をしたことでお金をいただきました

道に出ては、背中をまるめて歩けない状態にように見せました

しかし、一日の仕事を終えると乞食友と連れだってまっすぐ立ち、みんなでパブに向かうのでした

作家コールフィールド氏の最後のコメントがあります

「ロンドンには、毎日たくさんの何も知らない田舎からのおのぼりさんが来るので永遠に食べていけるよ」

ワンダフル・キャラクターズ 15

  • 2011.02.22 Tuesday
  • 10:03


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著




「フォスター・パウエル」

驚異のお散歩男

1734年 ヨークシャーのリーズに生まれました
1762年 ロンドンに来て、テンプルで、ある弁護士事務所で働き始めました

その後、あちこちの弁護士事務所をわたり歩きました

1764年には、ロンドンからバースへの街道を7時間かけて50マイルも歩きました

その後、スイスやフランスに行き、歩きました

1773年には、ロンドンからヨークまでの往復400マイルを5日18時間かけて歩きました

彼の事は、有名になり人々は、彼にお金をかけるようになりました

バースまでの100マイルを1日で歩いたり、ロンドン、カンタベリーの往復を24時間で歩いたりしました
その時は、ロンドンに戻ると何千人もの人々が、驚きの表情で彼の帰りを待ちうけていました

ブライトンでは、1マイルを5分23秒で歩くことに成功しました

ロンドン、カンタベリーの往復を歩く時、彼はうっかり帰り道のブラックヒースで道を間違えて、友人達との賭けに負けてしまいました

しかし、同情した友人達は、かわいそうな彼にお金を集めて彼に渡そうとしました、その金額は賭けの勝ち分よりも高額になりました

しかし、彼はお金があまり好きでなく、いつでも10ポンドしか受取ませんでした

彼は、背が高く、やせ形で足がひじょうに強い男でした

性格は、やさしく、あまり食事を多く取らず、お酒も普段は飲みませんでした
しかし、歩く時だけは、ブランデーを飲みました

1793年に急に病気になり4月15日に亡くなりました
亡くなるまで弁護士事務所で働いていました

有名人になっても貧しく質素な家に住んでいました

お葬式は、彼の人生と同じにみんなで散歩葬をしました
それは、ニュー・インからフリート・ストリートをラッドゲート・ヒルまでみんなで行進したのでした

亡くなった時彼は、59歳でした

ワンダフル・キャラクターズ 14

  • 2011.02.21 Monday
  • 09:24


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



「ヘンリー・ジェンキンズ」

彼は、イギリスのヨークシャー、ボルトンに住んでいました

なんと169歳まで生きていたとのことです

その信憑性については、アン・ザベルが彼と何度も面会しインタビューしています

アンは、当初信じていませんでした

アンは、ヘンリーに

「本当のところ何歳ですか?」と聞いたところ、彼は、「私の記憶が正しければ、162歳か163歳だ」と答えたそうです
そして「どの王様の時に生まれたのですか?」とも聞いたところ、

「ヘンリー8世の時代だ」と答えました

そして「フィルドン・フィールド(歴史的戦い)も知っている」とのことでした

「その時は、王はいましたか?」と聞くと「王は、その時期にフランスにいた」

「その時にあなたは、何歳でしたか?」

「10歳か12歳の時だった」

すべての時期と照らし合わせたところ事実だと判明しました

その上、その町には、当時100歳以上のお年寄りが他にも3、4人はいたそうです

その老人達にヘンリーについて聞いてまわると、彼らが子供時代からずっとヘンリーは、老人だったと言ったそうです

ヘンリーは、1670年12月8日に死亡しました
1513年12月のフィルドン・フィールドの戦いの時は、12歳でした

死後、60年後にボルトンに、彼のモニュメントの墓石が立てられました

まさに169歳は世界一の長寿だとあります

ドイツの昆虫学の本

  • 2011.02.20 Sunday
  • 16:31
聞き耳を立てる久々に博物画の本読書のご紹介です

こちらは、はいへんめずらしいドイツの昆虫学の本です

"Jahrbucher der Insectenkunde"

『ドイツの昆虫年鑑』 F・R・クルーク著 1834年ベルリン刊行 銅版画手彩色12図入
 
銅版画手彩色の美しい昆虫類の図譜が満載です
きっちりとし並んだ構図は、まるでコレクションボックスを眺めているようです

特別価格1冊 ¥30,000

3月3日からの渋谷パルコ・ゴロスギャラリーに展示販売しますのでご興味ある方は、チェックしてみてください。

遠方の方は、メールにて直接販売できますのでお問い合わせください。
MAILjjeffery@livedoor.com
















ワンダフル・キャラクターズ 13

  • 2011.02.19 Saturday
  • 15:49


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



「マシュー・ブッキンゲル」

ニュールンブルグのリトルマン - たった29インチの男

1674年ドイツ、ニュールンブルグに生まれました

生まれた時から、手も足もなく、ただ肩からの胴体に魚でいうところの尾のようなものがあっただけでした

彼は、8人兄弟の末っ子でした

幼い頃から両親は、教育熱心で彼にあらゆる楽器をマスターさせました

それは、笛やバグパイプ、トランペット、ダルシマー(ヨーロッパの古典楽器)などでした

そればかりか、自ら楽器を作り演奏しました

絵も上手でプロのレベルでした

肖像画や風景画、歴史画などやカリグラフィーもすばらしく上手でした

又、ゲームも上手くトランプやジャクリング、生きた鳥を用いてのマジックなども得意でした

人々は、彼を見に来たり、会いに来ては、帰りには必ず彼の作ったものを買っていきました、それは、自作の詩や絵画などでその収入で家族を養ったいました

結婚は、4回して、子供は、11人いました
最初の妻に1人、2番目の妻に3人、3番目の妻に6人、最後の妻に1人いました

その中のある妻から彼は、ひどく虐待を受けていました、それは、そうとうひどいものでしたが、いつも耐えていました

しかし、ある日、彼は反撃に出て彼の尾ひれのような手で彼女を激しくなぐり、その日以来一度も妻からの暴力はなくなりました

彼は、1722年に死亡しました

ワンダフル・キャラクターズ 12

  • 2011.02.18 Friday
  • 12:03


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著 



「ヘンリー・レモイン」
1754年生まれ
ロンドンの東、スピッタルフィールド(精肉マーケットのあった場所)で生まれました

フランス系カルバニスト教会学校で学んだ後、14歳で文房具屋さんに働き始めました

その文房具屋さんでは本も売っていました
彼は、たちまち本の魅力に魅了され、
本の虫になり、歴史、詩、科学などなんでも読み独学で勉強しました

20代になると、チャッタトンという本屋へ移りました
変った本屋で本屋の傍ら、パンも焼き販売していました
  
夜は、パン屋の近くのカフェで詩を書いたり、自ら書いた詩を読んだりして人気ものでした
彼の詩は、人気になりロンドンの雑誌でも紹介されました

1780年代になると、ある学校で自らをフランス人と名乗り全く英語をしゃべらずにフランス語の先生として就職しました

しかし、ある日学校のお手伝いさんに気をゆるし、自分がほんとうは、イギリス人であることをうかつに話してしまい、その日のうちに学校をクビになりました

その後、1780年からに自分の本屋を始めました
それは、露天の本屋さんで教会の庭に店を出していました

毎日、本屋で友人達と本の話し、夜は近くのパブで若者達と楽しく過ごしました

しかし、1784年8月のある晩、パブで盛り上がりみんなで騒ぎすぎた結果、警察が来てその場にいたすべての客は、警察へと連行されてしまいました

そこでヘンリーは、偶然持ち合わせていた酒を警察官へ差し上げたとこと警察官達は、飲みすぎて眠ってしまいました
その間に全員警察から抜け出しました

その夜の続きは、その警察が不審火から火災を発生し、全焼してしまったそうです

その後、まじめになった彼は、再びパン屋で働きながら
本の出版業を始めました

1792年には、ラファターの「人相占い」を発行しました
これは、当時大流行していた、スイスのウソ科学で人間の頭の形で運命が分かる

その後もカルペッパーの薬草辞典や、ジョン・ヒルの薬草辞典などの本を刊行しました

しかし、当時の出版業界は、汚く印刷代を支払わないなどのトラブルが続き、出版業は倒産してしまいました

次は、1795年から歩く本屋さん(行商本屋)で本を売り買いし村々を回りました
絵のように袋を担いで歩きました

その格好は、まるでユダヤ人のようであり、彼をユダヤ人に見間違い、行く先々で差別にあいました
しかし、彼は「イエス・キリストもユダヤ人であった」と紹介し語り、尊敬を得ました

1797年には、「アート・オブ・プリンティング 印刷の歴史」という本を出版しました
その本は、出来の良い美しい本でした

彼の性格は、若い頃たいへん朗らかで楽しい性格でした
彼は、結婚していたのですが、十数年前に妻と別れ、そのことで性格が暗く貧乏っていきました

しかし、古本商として目利きであり、フランス譜、ドイツ語もできたため優れていました

その後、1812年に56歳で病院で亡くなりました

ワンダフル・キャラクターズ 11

  • 2011.02.17 Thursday
  • 21:05


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著




「オールド・ブーツ」

彼は、1692年頃に生まれました

ヨークシャーのリップンで、あるホテルで靴磨きとして働いていました

誰も彼の本名は、知りませんでしたが、オールド・ブーツのあだ名で通っていました

彼の特徴は、図の通りに長い鼻と長いあごです
彼は、鼻先とあごをくっつけることができました

彼の仕事ぶりは、ひじょうに丁寧でした
そのため、多くのチップをいただくのですが、そのお金を鼻とあごの間に挟みこんでいました

ずっと働いた後、

1762年に70歳で死亡したそうです

ワンダフル・キャラクターズ 10

  • 2011.02.16 Wednesday
  • 09:11


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



「ヘンリー・コンスタンテチン・ジェニングス」

1731年〜1818年、イギリス貴族の中の貴族
エドワード4世、リチャード3世の家系

たいへんなお金持ちで、自らがコレクターとなり自分の博物館を作った

そのコレクションには、版画、絵画、古ロマの芸術品、カメオ貴重な美しい美術品などを驚異の部屋に作りました

その中には、当時1000ポンドもする大理石製の「モロシアン犬」もありました(現在は、大英博物館蔵)
そのことが話題になり、人々は彼を「ドッグ・ジェニングス」とあだ名で呼んだほどでした

当時は、運動することはめずらしい習慣でした
彼は、毎日のエクササイズを欠かしませんでした

夜、寝る前には体が熱くなるまで専用の運動道具を使ってエクササイズしてから寝ました

朝起きると、300回の刀振りをして
次に室内に置いた、革製の馬で馬乗りを1000回しました、乗馬運動のようなものです

お金は、すべて植民地ジャマイカのプランテーションから来ました
奴隷をたくさん持ち1年で800ポンド(現在の数億円)生み出していました 
主な産物は砂糖でした

若い時はイタリア、バチカンの旅をしてヨーロッパの王子達と豪遊して、すべてのお金を使い貧乏となりました

その後、イギリスに戻るとなぜか刑務所に入りました

刑務所を出所後、自分のお金をニューマーケット(競馬)に使い、又すべて無くしてしまい貧乏になってしまいました

1800年代初頭になり又お金持ちに戻り
本や、貝、絵画、宝石などのコレクションを驚異の部屋に入れた、そのことで又お金は消えました

借金がかさみ1816年に借金の刑で刑務所に入りました(当時は、借金刑務所がありました)

1818年に刑務所で亡くなりました

人生の山谷のひじょうに深い人生でした

死んでも変わり者らしく  
死体は、当時そのまま埋葬するのが常習でしたが、
彼は、めずらしく自分の死体を火葬するように命じていました

そのための死体を焼くオーブンを自宅に持っていたのでした

ワンダフル・キャラクターズ 9

  • 2011.02.15 Tuesday
  • 09:06


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



「マシュー・ラベット」
46歳で自らを張り付け(キリストが十字架にしたように)にした男


若い頃から神父になりたかったが、神父になることができませんでした

彼は、靴屋で働き靴を作りました
しばらくは、全く平凡に生活していました

しかし話すことといえば、イエス・キリスト、聖人、キリスト教のことばかりでした

ある日、彼は、靴を作る道具で自分の生殖器を切り落とし、窓から投げ捨てました

当時、相当のケガでしたが、自分で薬草などよ用いてケガを治し九死に一生をえました

その一件で、有名になり人々のわらいものになりました

人々から逃れるためにベネチアに逃亡しました

9月に、その地で身ずからを張り付けにして自殺しようとしたが、通行人に見られて止められてしまいました。しかし翌年の5月に再び挑みました

自分で道具をすべて用意して、ヒモでネットを作り十字架から落下しないようにして、両手首と足をピンで十字架に張り付けました
(手伝った人がいたはずですが???・・・)

キリストが張り付けにされた時と同じように頭には、針がたくさんついた王冠もつけました

夜中に実行しました
翌朝8時になると、通行人に発見されました、すぐ部屋に入り十字架からはずして彼をベッドに運びました

呼ばれた医者によってキズ口を洗い手当てされました

少しづつケガが治って行き、死に至ることはありませんでした

回復し8月には、精神病院に入れられました

しかし、食べ物や飲み物を拒否したり、全く動かずに過ごしたり奇妙な行動をとっていました

とうとう1806年4月に病気によって死亡しました







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