ワンダフル・キャラクターズ 24 続き

  • 2011.08.31 Wednesday
  • 09:44


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



ナサニエル・ベントレィ
有名なダーティ・ディック - 汚らしいディック

(・・・続き)

お店では、様々な工具などを販売していて、それは現在のホームセンターのようなものでした。

ある日、数人の貴族たちがお店に来て、大きなビジネスを持ってきてくれました。おかげでベントレィは、大きな仕事をすることができました。

ある夜、そのお返しにとベントレィは、その貴族たちをもてなすことにしました。晩餐に招待された貴族たちが待ち合わせのベントレィのお店にきました。

ベントレィは、急にお店の裏に入ったまま、彼らを待たせました。
その後、戻ったベントレィはチーズ400gとパン1つ、ビール2本だけを汚いカウンターに直接のせました。

貴族たちは、丁重に断り帰っていきました。

お店は汚いだけでなく、商品やらごみやらが散乱してまるでゴミ屋敷のようでした。
ベントレィ本人もお店の中で足をくじいてしまい、1日4ペンスでおばあさんを雇い、ケガの治療をしてもらいました。
しかし、一向にケガは回復せず、やっとベントレィは、医者の家に泊り込みで治療してもらいました。現在の入院のようなものです。

しかたなく、めったに店を閉めないベントレィですが、この時ばかりはやむなく店を数日間閉店しました。

(続く・・・)

ワンダフル・キャラクターズ 24 続き

  • 2011.08.30 Tuesday
  • 08:33


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



ナサニエル・ベントレィ
有名なダーティ・ディック - 汚らしいディック

(・・・続き)


そんな彼ですが、以前の夕食のテーブルには、毎晩7品もの御馳走がいつも並んでしました。
当時の邸宅での使用人は、5人もおりました。

今となっては、広い家に1人だけの変人となったナサニエルでした。

家族は、妹が1人いました。彼女は事業が大成功した商人のリンドグリン氏と結婚していました。

時々、家に遊びにきました。家に来ると必ず彼の商品を買ってあげるのでした。
しかし、事前に注文する際に必ず前払いを要求しました。それでも親切な彼女は、彼から商品を買ってあげました。

ある日、急にあるものが必要となり、直接彼の店へ買い物に行きました。しかし、お店は汚なすぎて、とうとう彼女は馬車から動かず、使用人にお店の中に入ってもらいもました。

(続く・・・)

Who Do You Think You Are あなたは何者か?

  • 2011.08.29 Monday
  • 22:26



最近はまっているのは、you tubeで見るBBC製作のドキュメンタリー番組

「Who Do You Think You Are - あなたは、何者か」とうい番組です。

イギリスの俳優やセレブが自分の家族のルーツを捜索するという番組です。
その中でもアガサ・クリスティーのポワロ役を演じた
ディビット・スーシェット(David Suchet)やアイドルだったパッチィ・ケンジットなどとっても興味深い家族の歴史がわかります。

イギリス人は、もともとヨーロッパや各地からの移民の歴史があります。

ディビット・スーシェットは、自らがベルギー系、トルコ系のルーツであると思っていました。
しかし、いろいろな記録をたどると、5〜6代の祖先は、ロシア系のユダヤ人だと判明しました、当時ロシアのユダヤ人は、トルコ人の名前に変えあまり迫害の激しくなかったドイツやイギリスへとのがれてきたのでした。

ロシア系のユダヤ人の祖先の俳優は多く、当時の大移動が分かりました。

変って、パッチィ・ケンジットは、ロンドンの貧しい地域のギャングの家系であったのですが、やはり記録をたどると有名なカトリックの高僧にたどりつき、感動の結果が待っていました。

ロンドンの町を色分けした貧困マップの存在などの緻密な記録は歴史番組のようでとってもおもしろくおすすめです。

ワンダフル・キャラクターズ 24 続き

  • 2011.08.29 Monday
  • 10:12


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



ナサニエル・ベントレィ
有名なダーティ・ディック - 汚らしいディック

(・・・続き)

彼は、楽しいイベントや娯楽などの場からお店に戻るとすぐに、着崩し、たちまちエレガントな雰囲気はなくなりました。

手や体も洗った形跡はなく、もちろん下着もです、又靴もたいへんなボロ靴できめていました。

以前に彼のかさ高にしたおしゃれなヘアースタイルについて書きましたが、その髪型をつくるのに1シリングを支払いその後は、全くクシを通したり、ブラシがけしたりすることはありませんでした。

せっかく1シリングを支払ったのでその価値を失うと思っていたのです。

仕事中に髪の乱れを整えるため、パフと呼ばれるヘアーネットを買いに行きました。
値段を聞くと、1つ6ペンスと分かり、昔は1ダース(12個)1シリング(12ペンス)だったと怒り、結局買わずに帰ってきました。
その代わりに髪をまとめるため、古いストッキングを途中から切り、頭にかぶっていました。

そんな彼の噂で、たいへん有名になり家から出ると人だかりになるセレブのような人気ものになりました。そのため、外出を極力控え、もしも家から出る時は、1人の警察を雇い警備につける程でした。

最近では、やっと一人での外出もできるようになりましたが、出かけるのは稀で、時々少しの買い物に市場に行きました。

買い物は、人に頼むことも多いのですが、今度はグースを買のをある女性に頼みました。
その肉を食べるだけでなく、ほこりをとるハタキとして使うためです。

彼がそのグースを食べたら、肉はかたく、ほねも強く、彼は古いグースだと文句を言い、買い物をお願いした女性を探しだし、使ったお金と返金するように要求しました。

彼は、市場に行ってもほんの少しの野菜と、ほんの少しの全く脂肪のないベーコンと少しのビール以外買いませんでした。

毎日の生活費は、18ペンスのみと堅く決めていました。なぜ、それだけしか使わないのかと尋ねると、彼は店が倒産し、負債で刑務所に行きたくないと答えました。

(続く・・・・)


ワンダフル・キャラクターズ 24 続き

  • 2011.08.28 Sunday
  • 11:38


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



ナサニエル・ベントレィ
有名なダーティ・ディック - 汚らしいディック

(・・・続き)
父の死後、残された株券などの整理をしたところ、

ビジネスに関する、権利書がでてきました。
それは、ポール・モール在住のブリス氏とのビジネスの権利についての証明書でした。
それによると、本人又は、継続者から半分の資金が支払われるというものでした、しかし、ベントレィは支払いを拒否しました。

その頃、お店は軌道にのり2店舗を追加するまでに成長しました、1764年には1店舗をパリにオープンし、ベントレィーはパリへと移動しました。
ロンドンの残された店舗は、ある男に任せました。

その男は、たいへん仕事のできる男で商品管理などきっちりできたため、おかげでお店は依然と変り、ほこりやごみのないたいへんきれいな店舗になりました。

ロンドンに戻った後、身なりについて興味を覚え、当時の流行のファッション街でスーツを作ったりしました。そのスタイルは、青と銀色のスーツに、やはり流行のヘアースタイルを保ちました。

時々、パリを訪れては、王族やセレブに近づき、礼儀正しい英国紳士と評判でした。彼は、数カ国語を話し、その中でもフランス語とイタリア語が上手と高く評価されていました。

最後にパリを訪れた際、信頼のおける2人の男にお店を譲りました。

どの時期から「汚らしいディック」の呼び名になったかは、定かではありません。
しかし、仮装する癖があったことは事実です。

彼は、普段自分のお店に現れる時、上着なしで来ていました。そのことは、お店にいるだれもが印象づけられました。

ある日、客として店に来た紳士が、彼に失礼のないように丁重な態度で彼にもう少しだけ清潔にしたらどうかと助言しました。

しかし、彼から帰ってきた言葉は、
「お客様、全く無意味なことです、もし私が今日手を洗ったとしても、明日又汚くなるのですから」
でした。

(続く・・・・)



ワンダフル・キャラクターズ 24

  • 2011.08.27 Saturday
  • 10:09


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



ナサニエル・ベントレィ
有名なダーティ・ディック - 汚らしいディック

彼は、リーデンホールで汚らしい身なりをして、汚らしい工具店を営んでいました。
同姓同名の彼の息子は、家業を引継ぎました。

父親は、分別あるスタイルを保ち生活し、別荘を含めきれいな家に住んでいました。
彼は、息子に良い教育をさせました。
しかし、彼を自分の召使のごとく過酷に扱ったため、若きベントレィは、父親から数年間、逃げ出しました。

父親は、資産家の娘と結婚したため、生活にはほとんど自分のお金を使う必要がありませんでした。

ベントレィの父親は、1760年頃にすべての財産を息子に残し、死亡しました・・・・



(続く・・・)

ワンダフル・キャラクターズ 23

  • 2011.08.26 Friday
  • 08:46


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著



トーマス・ウッド

彼は、1719年に生まれました。

幼児期から様々な病気にかかり、ひじょうに病弱な男の子でした。

病名は、天然痘やリュウマチなどであらゆる症状がありました。

しかし、13歳頃になると自然に体質が変化し、丈夫な男になっていきました。

43歳頃までは、肉やチーズをよく食べ、ふとり気味で頑丈な体になっていました。

しかし、43歳を過ぎた頃、痛風、不眠、天然痘などを発症し、常に腹痛や胸痛に悩まされました。

そこで心配した、パウロ神父さんから1冊の本をすすめられました。
その本は、『コルナールの人生』という本でした。

内容は、コルナール氏のダイエット本で日常の食べ物について書かれていました。

まず、ビールは1日1パイント、肉、チーズを減らすというもので、その本のおかげで1ヶ月で元気になっていきました。

1年後の1765年には、ビールを飲むのをやめて、水だけを飲むようにしました。又、肉の量も相当減らし、1766年には、肉もチーズもバターも完全にやめてしまいました。

そのかわりに彼の食事は、スペシャル・プディングと呼ばれる食事を毎日3回とりました。
睡眠については、夜8:00に就寝、朝1:00に起床で規則正しくなりました。

その結果、ひじょうに健康で声にも透明感がでて、筋肉質にもなりました。
自然に25キロも減量しました。

そのスペシャル・プディングの作り方は、

牛乳 3パイント
ビスケット(もともと海軍が作った保存食の堅いクッキーのようなもの)500g
卵 2つ

以上の材料をミックスして、型に入れ、蒸す

この出来上がったプディングを朝4:00、昼、夜と3回に分けて食べるそうです。
この食事で1783年63歳で死亡するまで健康だったそうです。

ただ同じ食事の繰り返しで、水はまったく飲まなくなったそうです。



ワンダフル・キャラクターズ 22

  • 2011.08.25 Thursday
  • 09:48


"THE BOOK OF WONDERFUL CHARACTERS"
『ワンダフル・キャラクターズ』1821年 ロンドン刊行

ヘンリー・ウィルソン&ジェームス・コールフィールド著




ジョセフ・クラーク
自称、有名な姿勢の先生

ポール・モールに住んでいました
屈強な体つきの上、まだ身体的に成長し続けています

体は、細めですが、体がひじょうに柔軟で骨さえも動かすことができ、どんな体にもできました

彼は、紳士服のテーラーを困らせていました

テーラーから店員が彼に家にメジャーを持って測定にくると変ったかたちで対応し、
出来上がった服を届けると又、変った身体をしていました
このようなことが度々ありました

普段は、町でその体を見せて通行人からお金をもらっていました

度々違う、障害者になりすました詐欺行為もしていました

又、顔の表情も自在にできたので、教会や劇場などの人が集まる場所に行っては、形態模写などもしました

1697年頃には、もう死亡していたそうです、それは、ウィリアム王の統治していた時期でした



香水の本

  • 2011.08.24 Wednesday
  • 10:15
"LE LIVRE DES PARFUMS - 香水の本"
ウジェン・リメール著
1870年パリ刊行 

こちらは、フランス語版で刊行された香水の本です。

英語版も刊行されています。

エジプト、ローマ、ギリシャ時代の香水文化から東洋、日本の髪結いも紹介されています。
香水の歴史から作り方、香木や花についてなどの精油から香水のボトルのデザインまで詳しく紹介してあります。





















博物画から

  • 2011.08.23 Tuesday
  • 08:57






「ホモ・ダイルーリー・テスティス - Homo diluvii testis」骨格の化石は、1726年当時には、アンドリアス氏によって古代の人間の幼児の化石であると発表されました。


それは、実は、絶滅したサンショウウオ(Andrias scheuchzeri)でした。

名前の中にあるAndriasは、幼児の化石と主張した人の名前を入れています、少し皮肉めいていておもしろいですね。

博物画から

  • 2011.08.22 Monday
  • 10:03




こちらの美しい中国人の少女の手彩色木版画は、1844年にベルギーで刊行されたアウグスト・ウォーレン著『世界の服飾の研究』からです

手にバラを持っています

博物画から

  • 2011.08.21 Sunday
  • 10:03



こちらは、1834年パリで刊行された『フランス人のコスチューム』マサー著から9世紀の死刑執行人のファッションです



博物画から

  • 2011.08.20 Saturday
  • 09:42



こちらの空飛ぶ乗り物は、1800年にドイツで刊行されたベルトックの子供向けの百科事典からです

信憑性についてはなぞです

博物画から

  • 2011.08.19 Friday
  • 22:29



こちらは、1850年にロンドンで刊行されたKnight and Rumley's 著『ファンシー・ジェムズ』から

ひじょうにめずらしい初期の自転車の図譜です


博物画から

  • 2011.08.18 Thursday
  • 08:15



こちらは、『自然科学辞典』P・J・F・テュルパンの図譜です

下には、画家の説明として、
画家(P-J・テュルパンの息子)は、1821年8月21日に18歳と6日で死亡

と記述があります

天才画家の父、テュルパンを継いだ偉大な画家でした

その他にも銅版画は、マサー氏によるものです
マサー夫人、マドモアゼル・マサーなどやマドモアゼル・デニエなど家族の名前があります

200年前の銅版画製作は、家族を中心とした家内工場のような環境にありました

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